自己紹介というと、いささか緊張するものですが、口下手なひとにとっては途端に重苦しい気持ちになるものなのだそうです。 さて、もしそのときに「あなたの本当の姿をつつみ隠さずに話して下さい」と言われたらとても困るのではないでしょうか。私という本当の姿を話すとなるとこんなに難しいことはないのです。それは実は自分が自分自身のことをあまりよく知らないからなのです。
以前、「私自身はドーナツの穴みたいなものです」と自己紹介された方がいました。その時は何のことかよくわかりませんでした。私という存在を説明しようとすると、自分の名前に始まって、生年月日や出身地や学歴や仕事や家族や趣味に至るまで色々な話に及びます。そのどれもが私独自のものでありながら、私そのものではないのです。私そのものは一体何なのか。ドーナツは外側の輪の部分も穴の部分も合わせてドーナツなのであって、その真ん中の穴だけ求めるわけにはいきません。つまり、私を取り巻くたくさんの「輪」によって私が成立っているのです。なるほどそういう意味であったのかと、しばらく後にわかりました。そのひとは自身をドーナツの穴と表現されましたが、なるほどうまいことを言ったものです。
さて、ここでもう一度考えてみましょう。本当の私の姿とは何なのでしょう。このことをわからせてもらうには仏法を聴聞する以外ないのです。逆に言えば本当の私を尋ねることから離れた話をいくら聞いても、仏法を聴聞したことにはならないのです。ここが、先祖供養でもご利益追求でもない浄土真宗の姿と言えましょう。