大将のバンコクがらくた人生

こんなはずじゃなかったのに。そんな戸惑いからはじまったバンコク暮らし。でも全く後悔はしていません。やっちまったぜ! そんな、ありのままの自分を、思う存分楽しみながら生きています。日本からはみ出したバンコク暮らし。ちょっとガラクタなぐらいが人生は楽しいのだ。

2012年09月

「to do goodの前に、to be good」
牛尾治朗(ウシオ電機会長)の御言葉


大変有り難いことに、私の家は祖父の代より
安岡正篤先生と親交があり、父は師友会の神戸の責任者をしていた。

 そのため安岡先生が関西にいらっしゃる時は
 私の家が定宿になっていて、幼い頃からお会いする機会に恵まれた。

 大学四年になり、私は海外で仕事をして
 見聞を広めたいという思いから、
 就職先には海外支店の多かった
 東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)を選んだ。

 しかしある時、
「最終的に就職を決める前に安岡先生のお話を伺うように」
 と父に言われ、私は安岡先生をお訪ねしたことがある。

 私が今後の抱負をひとしきり述べると、
 安岡先生は私を見つめながら次のようにおっしゃった。


「to do goodを考える前に、
 to be goodを目指しなさい」


 この一言は衝撃だった。


 それまで私は、あれをしたい、これをしたいと、
「to do good」ばかりを考えていた。

 そうではなく、「to be good」。


 つまり、よりよくあろうと自分を修める。
 その軸がしっかりしていなければ何もできないし、
 何者にもなり得ないのだと痛感させられた。

 それ以来、私は事あるごとに、
「to do goodの前に、to be good」と反芻し、
 自身を戒めてきた。

 今日なんとか格好のつく生き方ができているのは、
 人間としてのあり方の根本を
 安岡先生にご教授いただいた賜物であろう。

 誰もが不可能だと思ったJALの再建を
 わずか1年で黒字化した奇跡の経営者
 稲盛和夫氏の名言をご紹介



  ◆ 「従業員のために、また家族のために
     命に代えてもこの会社を守っていくのだ」
     という凄まじい気迫、信念ほど
     経営者を強くするものはないのです。

     経営くらい、ボクシングやレスリング・相撲などの
     格闘技にも似た闘争心が必要なものはないと、
私は思っています。
 
 

 ◆   経営にとって大切なことは
     「人間として正しいことを追求する」ことに
あると思っています。
     それは、幼かった頃に両親や年長者から褒められたり、
     叱られたりした経験から学んだ、
     極めて初歩的な倫理観と同じものです。
    
     私はそれを生きる上での原理原則とし、
     またリーダーとしての判断基準にもしてきました。
    
 

  ◆ 「才能を私物化してはいけない」
     私はたまたまこの世界の創造主から才を与えられ、
     役割を与えられた。
 
     ならば、その才を自分のために使って
     「俺がやった」などと自惚れてはならない。
やはり従業員のため、世のため人のために使う。
それがリーダーだと思い、これまでやってきました。



  ◆ 私は人生の目的は何かと問われれば、
     心を高めることであり、魂を磨くことにあると思っています。
     人間が死を迎える時、
     現世でつくり上げた地位も名誉も財産もすべて捨て、
     魂だけ携えて新しい旅立ちをしなくてはなりません。


 
  ◆  生まれた時より少しでもましな人間になる、
     すなわち、わずかなりとも美しく
     崇高な魂になって旅立つことが、
     この世での人間の務めだと思います。

創業663年の歴史を持つ日本の饅頭の元祖・
塩瀬総本家会長の川島英子氏が語る事業永続の秘訣


◆ 自分というものは、ここにひょっと
   いきなり成り立っているわけじゃなく、
遠いご先祖様からの命がずうっと続いてきて、いまこうしてある。
それを忘れてはいけないし、感謝しなくてはいけない。

そしてありがたいと思ったら、その気持ちを言葉なり、
字なり、行動なり、形に表すということを即刻やることが大切です。



 ◆ 悪い時は慎ましくそれなりに暮らしていく。
自分の代に沈むことがあっても、
必ず後に浮く時がくるのが世の常なのだと。
だから物事は長いスパンで考えることですね。

 逆に「いい時はいいようにやっていく」のも大切で、
沈む時に備えてものを蓄えておきなさい、ということでしょう。
まさに「繁盛するに従つて益々倹約せよ」です。



 ◆ あまり「こだわり過ぎる」ということをしては
   運は開けないのではないでしょうか。
時代の変化に対する柔軟な考え方と
挑戦する気持ちを持っていれば、
道は開けてくるように思います。



 ◆ 仏教に「無常」という言葉がありますが、
やはり世の中はいつも同じであるわけがない。

だから調子がよくても驕らず、沈んでも必ず浮く時が来る
という信念を持って取り組むことが
商売をやっていく上で大事なことですね。

「この国の人々は今までに発見された国民の中で最高であり、
 日本人より優れている人々は異教徒の間では見つけられない。
 彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がない。



 驚くほど名誉心の強い人々で、他の何ものよりも名誉を重んじる。
 大部分の人々は貧しいが、武士も、そういう人々も
 貧しいことを不名誉とは思わない……」



1549(天文18)年、キリスト教布教のために日本にやってきた
フランシスコ・ザビエルが、本国に送った手紙である。



それから300年、江戸末期から明治にかけて
たくさんの外国人が日本を訪れ、
日本と日本人についての感想を残している。



イギリス人女性旅行家で紀行作家のイザベラ・バードは
1878(明治11)年5月に来日、東北や北海道を旅行し、
こう書いた。



「ヨーロッパの国の多くや、所によってはわが国でも、
 女性が外国の衣装で一人旅をすれば現実の危険はないとしても、
 無礼や侮辱にあったり、金をぼられたりするものだが、
 私は一度たりとも無礼な目に遭わなかったし、
 法外な料金をふっかけられたこともない」



1856(安政3)年、通商条約を結ぶために来日した
ハリス提督は、その日記にこう記している。



「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。
 一見したところ、富者も貧者もない。
 これが人民の本当の幸福の姿というものだろう。



 私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、
 この人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、
 疑わしくなる。



 私は質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも多く
 日本において見出す。



 生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、
 現在の日本の顕著な姿であるように思われる」



1890(明治23)年来日のドイツ人宣教師の記録。



「私は全ての持ち物を、ささやかなお金も含めて、
 鍵を掛けずにおいておいたが、
 一度たりともなくなったことはなかった」



フランスの詩人ポール・クローデルは
1921~27(大正10~昭和2)年まで駐日大使を務めたが、
第二次大戦で日本の敗色が色濃くなった
1943(昭和18)年、パリで言った。



「日本は貧しい。しかし、高貴だ。
 世界でどうしても生き残ってほしい民族をあげるとしたら、
 それは日本人だ」



私たちの祖先は勤勉・正直・親切・謙虚・素直・感謝といった徳目を規範に、
幾世紀も暮らしてきた人たちであった。
外国の人たちの証言はそのことを明らかにする。



さて昨今は……隔世の感、と言わざるを得ない。



この日本人の美質を取り戻し、後生に渡さなければならない。
私たち一人ひとりがこの美質を涵養し、発揮した時、
日本は真に豊かな国となる。



富国有徳とはこのことである。



先覚者安岡正篤師の言が思い起こされる。



「人々が己れ一人を無力なもの、ごまめの歯ぎしりと思わず、
 如何に自分の存在が些細なものであっても、
 それは悉く人々、社会に関連していることを体認して、
 まず自らを良くし、また自らの周囲を良くし、
 荒涼たる世間の砂漠の一隅に緑のオアシスをつくることである。



 家庭に良い家風をつくり、
 職場に良い気風をつくれないような人間が集まって、
 どうして幸福な人類を実現できましょうか」



富国有徳への道は一己より始まることを、
私たちは忘れてはならない。

◆ 当社の家訓は「先義後利(せんぎこうり)」です。

  “義を先にして利を後とする者は栄える”という意味ですが、
  「義」とは人としての正しい道、
  「商人においては正しい商人の道を先にして、
   自分の欲は後にしなさい。嘘をついたり人を騙してお金儲けをしたり、
   名誉欲、出世欲、肩書などの強欲を出してはいけません」
   と父から教わりました。



 ◆ 石田梅岩は「利益をあげない商人は商人にあらず」、
   つまり利益を無視する商人は愚か者であると述べています。



 ◆ 新品の使い始め、最後に捨てる末をよう考えるのや。
   この始と末を取って「始末」という。
この少しずつの始末をするかしないかで、大きな違いが出てくる。
  (先代である父の教え)



 ◆ 梅岩は、実践をせず、ただ頭だけの知識を持つ人間を
“文字芸者”と非難しました。
  だからよいことを教えていただいたと思ったら、
  必ず実践しなくてはいけない。


 京都の地で323年にわたり麩屋を営む半兵衛麩
            玉置半兵衛会長の商いの要諦

稲盛和夫さん(京セラ)は「私にもできるのだから皆にもできる」と
常日頃語っていた。
だが、僕は新入社員の頃、自分が稲盛さんのような
凄い人になれるとは到底思えなかった。

でもある時、稲盛さんのような偉大な人が存在しているからには、
必ず何かの理由があるはずだと考えるようになった。

要するに「あの人だからできる」という考え方をやめたのである。
「あの人だからできる」と定義すると、
学びがそこで止まってしまうからだ。


大好きだった京セラを飛び出したのは43歳。

現在様々な赤字企業や問題を抱えた
組織の経営コンサルティングをさせてもらっている。

相談の中身はそれぞれに異なるが、何か問題があって、
ずっと解決しない時には必ず一つの共通した症状がある。


それは“人のせいにする”ということだ。


「あそこの会社は力があるから」

「うちには人材がいないから」


といったように「○○のせいだ」という言葉が
必ずどこかに出ている。

いつも僕は同じ質問をする。


「人のせいにして問題は解決しますか」


世界中の誰に尋ねても「しない」と口を揃えて答える。


にもかかわらず、我われは人のせいにしがちで、
その結果、問題を放置してしまう。
見方を変えれば、その症状があったとしたら、
そこに改善のチャンスがあるということだ。

稲盛さんは講話の中で


「宇宙は常に進化発展している。
 そこに心を委ねるならば、京セラも未来永劫発展する」


と我われに語られた。

僕も曲がりなりに50年以上の人生を生きてきて、
確かにそうではないかと思う。

世の中はよき方向へ向かっている。

それなのに、その妨げになるものがあるとすれば、
それは我われの持つ、最も非生産的で問題が解決しない考え方
「人のせいにする」ということではないだろうか。


かつての僕がそうだったように、
自分の思うような仕事や部署に就けず、
悶々としている人は少なくないだろう。

だが仕事というものは「自分がいたら助かる」
という部分を見つけるところから始まるのだと思う。
そしてそれは必ず見つけられる。

職場には必ず困っていることがあるからだ。

会社が自分を雇ってくれた理由とは何か。
それを自らに問うところにきっと新しい扉が開かれている。

■岸良裕司(ゴールドラット・コンサルティング日本代表)

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